2015年11月23日月曜日

大胆仮説!明日香村の猿石 徹底的に裏おもて見せます!01

雨の休日・・・
どこへ行こうか? 雨やし、やっぱり出掛けるの止めとこ
かと言ってどこにも行かないのも逆に疲れる
で、結局明日香村に出掛けました(^^;

で、ここは明日香資料館
入り口の庭園に明日香村で出土した石像群のレプリカが展示されております
写真の石像は有名な「亀石」
亀といえばそうだけ見かたによってはカエルに見えないことも無い
よって亀を甲羅を背負ったカエルという結論に達しました
ちなみにこのレプリカは微妙に出来きが良くない気がします
実物はカドというか輪郭がもう少し滑らかです

後ろ側から
こんな感じです、実物も後ろから見れますが、生垣が迫ってるので
こんなに離れては見れません

猿石の山王権現です
吉備姫皇女王墓内にありますが柵に囲まれいて、
近くによって見ることが出来ませんが
ここではまじかに見ることが出来ます
本物は裏側もよく見れませんがここでは真裏も近くでじっくり観察できます
なぜ裏側にこだわるかと言えば、明日香村の石像はこの猿石をはじめ
2面石といって裏にも別の顔というか像を彫ってるのが多いんです

後ろからじっくり観察

ほーっ、こんな感じになってるのか
ケッコウ邪悪な顔してますね、あなた
おもての顔のアップ
あまり日本的な面構えじゃないです
なんだろか・・・?
あえて言えば「ゴブリン」か

後ろの像のアップ
はっきりいって怖いです
なんちゅう醜悪な顔やねん、ぜんぜん和風じゃないですね
見れば見るほど不思議な造形、飛鳥時代の像で似た物は他にないです
ギョロ目と牙が突き出た大きな口
バリ島のラクササという魔よけ像と類似点があるようです

つづいて猿石その2 「女」
どこがオンナやねん!ぜんぜん女じゃないです
体つきは猿ですね、これ
全体に手抜きされた石像ですよ、これ

うしろに回って撮影しました
前側の彫刻とはまったく違う像です
鳥っぽいです、口ばしあるし、横には翼のような彫りがみれます
これは・・・
バリ島の「ガルーダ」ですかね?
もちろん和風なところは微塵も感じません

ガルーダはもとを辿ればインドの神ガルダです
よく分かりません(笑)

高取の猿石
もともとは上記の猿石といっしょに出土したんですが
高取城構築の際に高取に運ばれました
石垣に使おうとしたんでしょうが、この形なんであきらめたんでしょうね
今では高取城跡に向かう山道にそっと置かれております

後ろ側
何か彫刻されてますが、よく分かりません

猿石 その3「男」
まあ「男」ですね、昔のおじい様みたいな 
そこそこ適当な造形です

後ろ側
なにか彫られてますが何か分かりません
よく見たら下のほうに鼻と口が刻まれているようにも感じますが

猿石その4「僧」
そうですか「僧」だそうです(笑)
ちょっとなまぐさ坊主っぽい僧ですね
昼間から酒のんで酔っ払って
もう人生どうでもええわ~な感じ
顔のアップ
近所にこの顔に似たおじさんが住んでます
人生あきらめた方なんですが
俺けっこうその人好きですね、話しも面白いし
ちゅーかぜんぜん猿石とは関係なし
この像の後ろ側は写真撮るの忘れました
なにも彫刻されてなかったからか、たまたま撮影忘れたのか?
思い出せない(笑)

あと高取町の観覚寺に人頭石というのがあります、
むちゃくちゃ頭は固いんですが石頭人ではありません
こいつも二面石なんですが
顔がペルシャ系です むちゃワシ鼻であごが角ばっております
猿石その02で紹介します



この正体不明の石像群
ぜんぜん古代飛鳥と関連性を見出せませんが
推測するに、飛鳥時代の女帝斉明天皇が土木や石造物が好きで
石を使った広大な庭園やのちに「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)といわれる運河を

のべ3万人を動員して造ったりもしているので



大胆に仮説を立ててみると

この石造群もおそらくは飛鳥の都にやって来た人たち

朝鮮半島や中国だけではなくインドネシアなどの東南アジア、

インド中央アジア、中近東ペルシャ周辺を含んだ渡来人の石工に
製作させたんではないでしょうか?
それならバリ島風、インド風、ペルシャ風も少しは納得できるかな
完成後、欽明天皇陵の四隅に魔よけとして安置され時の流れともに忘れ去られたと


のちの時代に発掘されとき、仏教徒の大和びとから異文化の邪神像として見られ
神でもない人でもないモノとして信仰の対象外の「猿」と名づけ
吉備姫皇女王墓の柵内へ封印した と考えてみました
いかがでしょうか?この仮説
歴史考古学っておもしろいですね

その2 そのうち編集解説文書きます(^^)

これがうわさの人頭石
なんとも言えない面構え

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