2013年6月11日火曜日

卑弥呼の里 箸墓古墳に行くNo.1

邪馬台国の女王「卑弥呼」を埋葬したとも言われる箸墓古墳、 三輪山の裾野にあり、纏向遺跡の南東部に位置してます。
(箸墓古墳の全容 北側の大池から真横を撮影)
被葬者は確定されてませんが、古事記、日本書紀、魏志倭人伝さらに地元の伝承はすべて女性を指向しています、
女王かどうかはひとまず置いて三輪信仰に基づく強力なカリスマ性をもった巫女(シャーマン)の存在を感じずにはいられません。
弥生時代にみられるそれまでの方形周溝墓から比べると大きく隔絶した規模と形状をもった全長280mの前方後円墳。このような墳墓を作らせた被葬者の政治力は相当なものだったんでしょう       
              (くびれ部分から後円部を撮影)
          この後円部 頂上に被葬者が埋葬されているはず
 箸墓古墳の長軸の方向は葛城山地、第2-8代天皇(一説に葛城氏系天皇)の出身地があります、ちなみに百襲姫は第7代孝霊天皇の皇女とされています。
また真西より南へ約23度向いて、太陽が沈む方位でいうとユリウス暦で1月25日あたり、旧暦では西暦247年の元旦前後です。             
(北東部から後円部を撮影)
                  ホケノ山古墳からの撮影
     この位置から見る「箸墓古墳」は魏志倭人伝が伝える直径「百余歩」
     約150mの円墳 のイメージに近いものがあります
           
宮内庁の看板 「倭迹迹日百襲姫命」大市墓(やまとととひももそひめのみこと おおいちのはか)とあります、 古代中国 魏の使者がはたして こんなに長い名前をそのまま記述できるとは到底思えないです、
省略して後半部の「ひめみこ」が訛って「ヒミコ」となっても不思議ではないですね
ちなみに日本語のフルネームを暗記出来るようになるまで私は半年掛かった(笑)


           
          前方部の墳丘 不明瞭ですが微かに段構築がみれます

             平野部(西側)からみた纏向遺跡の全体
             真ん中のこんもりした森が箸墓古墳です    
             
三輪山につながる台地 井寺池からみた箸墓古墳 右側平野部が纏向遺跡の中心部

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