上海租界 外灘(ワイタン) 英語表記はShanghai The Bund |
外灘(租界)の簡単な歴史を説明すると 1842年アヘン戦争に敗北した清は南京条約で多額の賠償金支払い要求および 香港の割譲と上海の一部をイギリスの租借地として認めさせたのが ここ上海租界の始まりだったのです 冷静に考えるに、自国(イギリス)の利益のため アヘンを輸出、反発する清に戦争を仕掛けるって鬼畜もええとこですね |
黄浦江を挟んだ対岸 上海 浦東(プードン)の高層ビル群 外灘が19-20世紀前半の歴史遺産とすれば 浦東は21世紀を象徴する建造物群でしょう 現代中国がアメリカ、日本に負けてたまるか!という 意地とプライドの象徴ともいえます |
当時の先端西洋建築様式を取り入れたビル群 ゴシック、ネオクラシック、アールデコ等 中山東一路沿い1.1kmにビルは並んでいます |
19世紀後半から20世紀前半に築かれたヨーロッパ調のビル群は 見惚れるような美しさです |
あまり仕事をしない警察って聞いたんですが どっこい外灘では大活躍しておりました 特派員も「こんな仕事してる警察は初めて見た!」 って言ってました(笑) この日は土曜日の夜ということもあって スリ置き引きから観光客を守ってくれてたんでしょう |
緑に光る三角屋根のビルディングはキャセイホテル和平飯店北楼(旧サッスーンハウス) 20世紀初頭上海の経済と不動産業を支配したサッスーン家が所有してました もう少し補足すると経済を支配といっても、裏ではインドで栽培したアヘンを中国で密売し 莫大な利益を貪っていたという構図であります ちなみに建物はアールデコ様式です |
左手前は台湾銀行上海支店ビル 右がノースチャイナ・デイリー・ニューズビル(外灘17号) ここは日本の上海占領期に 日本紙である大陸新報社が入っておりました |
イオニア式円柱 昨日勉強して覚えました(^^;) |
20世紀前半 秘密結社であり上海ギャングの青幇(チンバン) といわれる組織が暗躍してました。 アヘン密売、賭博、売春 上海の暗黒面を牛耳るワルたち・・・ 上海租界 昼は欧米人が支配し夜は青幇が支配していたのです ちなみにその気になって歩く後姿の女性は「特派員母」です><; |
青幇が普通のギャングと違うのは民族的イデオロギー 「漢民族の復興」という一大目的を組織の奥底に内包し 政治結社的要素も持ち合わせていたというところです 闇社会で得た利益を時の政治組織に援助もおこない 蒋介石と共闘戦線を組んだりもしていました 頭目 杜月笙は上海で知らないものはいないと言われるまでの存在だったのです |
男装の麗人川島芳子 歌手李香蘭 蒋 介石夫人宋美齢 上海 夜の社交界の華たち ドラマ、映画、小説の題材には事欠きません |
西洋建築物群の屋上をよく見ていただくと気付きますが どのビルにも中華人民共和国の国旗が掲揚されています 1842年のアヘン戦争敗北から100年余り 中国共産党国家樹立でやっと列強諸国の支配から上海を 取り戻したぞという意思表示なんでしょう 街を行く観光客はそんなことはお構いなしで大声で談笑しながら 外灘を闊歩していますが(笑) |
政治の世界は別として 民間レベルでは中国人と日本人 それなりに仲良くやってた様子も見て取れます 昭和の大作曲家「服部良一」は太平洋戦争終了まで ここ上海のキャバレーでスイングジャズを演奏していました 1940年 名曲「蘇州夜曲」が生まれ、当時の最先端ジャズ「ブギ」は 戦後すぐに笠木シズ子の「買い物ブギ」として大ヒットします |